關於部落格
情是花的香,爱是树的汁。
当全情成爱,佛便诞生在那里;
当全爱成情,菩萨就玉立在此处
  • 23507

    累積人氣

  • 4

    今日人氣

    0

    追蹤人氣

三重伊勢&熊野三山.再発見の旅

从我的角度来演绎“再発見”,我是発现这个旅程可以从三重的伊勢伸延至和歌山的白濱,研究了大半年,终于在 月份出发去!
然後在名鉄售票窗兌換所要乘搭路綫的車票,首先搭的是中部機場至名古屋快速普通車,若搭特急車需另付費。到名古屋后往近鉄售票窗兌換開往伊勢市的特急車票(免費),前往伊勢。


此趟去伊勢, 主要目的是到金剛證寺和二見

朝熊岳金剛證寺
 
伊勢神宮是日本地位最崇高的神社,每20年的遷宮儀式需由皇族主持,首相每到新年也要定例參拜。在伊勢東方有座朝熊山,座落在山腰的「朝熊岳金剛證寺」自古被視為守護神宮鬼門的鎮宮避邪廟宇。該寺最大特色是無需靠信眾參拜的香火錢,靠後院通往極樂世界的靈場即可香火鼎盛。
朝熊山高聳在伊勢的東北方,虽然只有海拔555却可遥望见富士山唷。山腰的金剛證寺被视为镇守伊勢神宮,隨著旭日東升,萬物受惠成長,山腰的金剛證寺也成為庶民信仰的中心。從江戶時代起,參拜伊勢神宮順道參拜金剛證寺是理所當然的。
傳說中,朝熊山是死者靈魂升天的山,因此除了山下的墓外,在此供奉故人的靈牌,也成為當地的民間信仰。人們相信將祖先供奉在朝熊山上,即可讓祖先通往極樂世界,因此會購買稱為「塔婆」的靈牌,寫上祖先的法號或家人、親戚等生者的姓名,以祈求全家平安。


現在的金剛證寺建於1609年,前院有個傳說是弘法大師挖的水池,上面架的太鼓橋被視為俗世和聖地的交界。後院有個「極樂門」,穿過極樂門即是通往極樂世界、淨土的靈場。這裡聳立了約一萬支用木頭裁切成角柱狀的「塔婆」,一般的「塔婆」高約34公尺,人們相信塔婆越高越好。
該寺的住持表示,供奉像木片般的塔婆只需500日圓(約台幣144元),供奉最高的10公尺的塔婆則需50萬日圓(約台幣144000元),塔婆的保管期間為5年,期限到了信眾還會建新的塔婆。這也難怪金剛證寺無需靠參拜的香火錢,光靠塔婆群就可順利營運了。
「金剛證寺(こんごうしょうじ)」(伊勢市朝熊町)の本尊「福威智満虚空蔵大菩薩(ふくいちまんこくぞうだいぼさつ)」が10121日、20年ぶりに一般公開(ご開帳)されている。


金剛證寺の創建は欽明時代の御代(6世紀後半)、暁台上人によって開
天長二年(825)弘法大師空海が真言密教の根本道場を建て本尊に福威知満虚空蔵菩薩を祀り勝峰山兜率院金剛證寺と称しました。弘法大師空海は当山において虚空蔵求聞持法を修したと伝えられています。その後、無住の時代が続き、明徳二年(1392)鎌倉建長寺五世仏地禅師が入山し寺の再興に努めました。仏地禅師は中興の祖と仰がれ、真言宗から臨済宗に改宗され、臨済宗南禅寺派のお寺となりました。慶長二年(1597)と慶長十三年(1609)にわたり火災にあいましたが、徳川家康は慶長十四年(1610)姫路城主池田輝政に命じ本堂摩尼殿を再興させました。その後もまた文化元年(1804)と明治二十年(1887)とに火災にあい、多くの堂宇を失いました。現存する建物は、江戸時代の摩尼殿、法務寮、求聞持堂、雨宝堂、望海院、与楽院、呑海院、孝源院等 



交通利用:
また近鉄宇治山田駅前、鳥羽バスセンターから定期観光バスも運行しています。(本数は極少ないため注意。)

総門
仁王門
太鼓橋
この橋は聖地と俗界との結界を表しています

本堂摩尼殿は裄行七間、梁間六間

左に求聞持堂
朝熊岳縁起によりますと、天長元年(824)弘法大師空海が大和鳴川の善根寺で御本尊の虚空蔵菩薩の仏前で、呪文を唱え見聞したことを記憶して念ずる法、求聞持法を修したとされています。満願の日の明け方に空から一童子が下りてきて「伊勢国朝熊嶽」で修行するように諭されました。翌年朝熊嶽に来たり金剛證寺を建立したと記されています。このお堂は求聞持法を修行するお堂で、代々の住職が修行します。その方法は口伝とされ明治時代まで行われたと聞いております。また、お堂の建築方法は満願の日の明け方にお堂の窓から朝日と明星(金星)の光りが射し込むように設計されていると云われています。昔の人は明王院でお願いすれば求聞持法の行を代行していたとも聞いております。
相簿設定
標籤設定
相簿狀態